ロックスターの横顔 vol.12

ポール・スタンレー  (KISS)

取材での大サービスの裏側に、スーパースターの孤独を見た MUSIC LIFE CLUB Presents

ロックスターの横顔 vol.12 ポール・スタンレー  (KISS)

取材での大サービスの裏側に、スーパースターの孤独を見た

2021.November


KISSは『ミュージック・ライフ』(以下ML)にとって忘れられないバンドだった。おっと“だった”だなんて過去形で言ってしまうのは、まだ早いかな? 世界中で猛威をふるった新型コロナウィルスのせいでフェアウェル・ツアーが2022年まで持ち越されたのだ。

私が初めてKISSというバンドを意識したのは'74年発売の2枚目のアルバム『ホッター・ザン・ヘル~地獄のさけび』を聴いた頃のことだ。このアルバムもデビュー作の『地獄からの使者』も当時、まだ日本未発売だった。『地獄のさけび』は、まずアルバム・ジャケットに漢字を使った斬新なデザインが当時、話題になった。ちなみに「地獄シリーズ」と言われるKISSのアルバムの邦題は、当時のレコード会社(日本ビクター)の担当ディレクターがプロレス・ファンで、別に深い意味なく「地獄」という言葉を使いたかった結果だという。これ、その本人から聞いたことだから間違いない。


1974年2月リリースのファースト・アルバム『Kiss』(左)と、同年10月リリースのセカンド『Hotter Than Hell』(右)。しかし一番最初に日本発売されたのは3作め『Dressed To Kill』だった。「地獄シリーズ」と呼ばれる邦題は、順に『地獄からの使者』『地獄のさけび』『地獄への接吻』『地獄の狂獣』『地獄の軍団』『地獄のロックファイアー』と『Alive!』を含め6作めまで連続、次の『ラヴ・ガン』を飛ばしてさらに『地獄からの脱出』へと続いた。


KISSが日本でデビューした'76年といえば、ML誌上のスターはクイーンだった。その人気が世界に広がってバンドとして一回り大きくなったと実感できる時期だ。そこで私達MLは考えた。クイーンだけより、もう1組、いや、もう2組一緒に売り出した方が華やかじゃない?、そう思ったのだ。KISSは、その目的にピッタリのバンドだった。クイーンと同世代だが、まだ世界的に日の目を見ていない新しさがあった。そして、もう1組、この時期『ロックス』というアルバムでCBSソニー(現ソニー・ミュージック)が売り出したエアロスミスだ。

こうして誕生したのが「ML3大バンド」というわけだ。もちろん当時、人気があったのがこの3組だけだったわけじゃない。だが、クイーンに匹敵するストーリー性、ヴィジュアル性、エンターテインメント性、そして同時代性を持っていたのはKISSとエアロスミスだったのだ。このアイディアは、ズバリ的中した。特にKISSはハードながら、ポップ性も持つ音楽性、ヒーロー物にも通じる4人4様のメイクで、子供達とその親世代にも人気が広がっていった。

実際に取材して分かったがKISSは実にプロフェッショナルなバンドだった。初来日時から飛行機から降りて来る時からメイクと、あの衣装だったし、指定された場所での撮影しか許可されなかった。素顔だったインタビュー時は、もちろん写真撮影はナシ。しかし、それが雑誌的には面白くない。オフ・ステージでもいつも、あのメイクと衣装の写真ではワンパターン過ぎた。そこでまたMLは考えた。メンバーと一緒に写る被写体として日本の大スター、ゴジラに登場してもらうのはどうだ?と。KISS with ゴジラの写真を次号MLの表紙にと目論んだものの、ゴジラは肖像権の問題で使用不可! 代わりに用意された怪獣の着ぐるみ登場にメンバーは大喜びだったが、結果的には失敗だった。なにしろメンバーの、あのヒールがバカ高いブーツの前に、なんと怪獣の方が背丈が低いことが判明! いや、色々ありました。



ゴジラとの共演は大人の事情でNG、しかも代打の怪獣よりKISSの方がデカイとか! で、『ミュージック・ライフ』1978年6月号の表紙はライオンとポールとの共演になりました


もちろん写真撮影だけがKISSの取材だったわけではない。来日時は必ず、メンバーとのインタビューで直接、会う機会があった。私が特に印象に残っているのは'78年の2度目の来日時のポール・スタンレーとのインタビューだ。その日、約束通り宿舎の彼の部屋をノックすると、誰かと電話中だったらしく、「ちょっと待って……」という声と共にドアが開き、そこにポールが立っていた。メンバーの中で一番、素顔とメイクした顔のギャップが少ないのがポールだった。それに私は個人的にも彼の歌声が好きで、KISSのナンバーの中で好きなのは「シャンディ」「ラヴィン・ユー・ベイビー」と2曲ともポールがヴォーカルを取っている曲だ。

この時のポールはインタビュー中、心なしか元気がなかったせいか、その分、ちょっぴりプライヴェートな匂いがしたものだ。スーパースターの孤独も感じさせた。「スターであることは素晴らしいことだけど、同時に危険でもあるんだ。今だって何もかもが素晴らしいとは言いがたい」「時々、すごく寂しくなる」「ロック界に揉まれているうちに感性が鈍くなる」等々……ポールは真面目な口調で話してくれた。約40分程のインタビュー終了後、「さっき電話で話していたのはガールフレンド?」という私の問いに、彼はごく自然に「そうだよ」と応えた。後から知ったが、相手は当時、ガールズ・バンドとして人気があったランナウェイズのドラマー、サンディ・ウェスト(2006年10月21日、脳腫瘍のため47歳で他界)だったらしい。

レンズを向けるとオフだろうがステージだろう何かやってくれるのはKISSでポールだけではない。が、その裏には当然プライヴェートもあり、取材の合間には素顔も垣間見せてくれた


そして'96年、前年に実現したオリジナル・メンバーでの19年ぶりの来日公演を東京ドームで観た。もちろんメイクも衣装も、あの往年のKISSのままだった。私はと言えば'90年にMLを卒業して以来の彼らのステージだった。2021年の今、あれからまた25年の月日が流れた。来年は、いよいよ、そのキャリアの幕を引くという。ちょっと寂しい。

(東郷かおる子)


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東郷 かおる子 Kaoruko TŌGŌ 音楽専門誌「ミュージック・ライフ」元編集長。
神奈川県横浜市出身。星加ルミ子氏に憧れ、高校卒業後、(株)新興楽譜出版社(現・シンコーミュージック・エンタテイメント)に入社。

1979年に編集長に就任。1990年に退社。現在はフリーランスの音楽ライターとして活動。近著に「クイーンと過ごした輝ける日々」(シンコー・ミュージック刊)。



東郷かおる子さんが編集長だった『ミュージック・ライフ』は『MUSIC LIFE CLUB』と姿を変え、クイーンを中心とした往年の洋楽アーティスト/グループのニュースや情報をお伝えするサイトとして、シンコー・ミュージックが完全に無料のサービスとして運営中。


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