ロックスターの横顔vol.3

エアロスミス

クイーンのライバル・バンド むき出しの不良性が魅力だった エアロスミス MUSIC LIFE CLUB Presents

ロックスターの横顔vol.3 エアロスミス

クイーンのライバル・バンド むき出しの不良性が魅力だった エアロスミス

2020.December


前回の、このコラムで’70年代当初の日本の洋楽マーケットは海外~アメリカやイギリスから、まったく注目されていないへき地だったと書いた。それが激変したのは1971年にレッド・ツェッペリン、ピンク・フロイド、グランド・ファンク・レイルロードの相次ぐ来日公演以降のことだ。ついに禁断の扉を開けた日本の若者達にとって “ロック” は、もはや流行音楽の一ジャンルではなく、生活~文化にまで影響を及ぼすものになりつつあった。現在のミレニアル世代の若者達には理解出来ないだろうが、とにかく今より生活環境がシンプルだった分、外界からのインパクトが大きかった。

当時、私が編集部に在籍していた音楽雑誌『ミュージック・ライフ』も、そんな時代の波に呼応して日々、新しい音楽、新しいバンドの発掘にワクワクしていた。そんな中から登場したのがクイーンだったわけだが、彼らの初来日(’75年)が実現し、その人気が軌道に乗りかけた頃、私達は考えた。「クイーンのライバルになりそうな若手のバンドを探そう」と……。新しいスターには、新しく強力なライバルが必要と考えたのだ。クイーンと世代が重なり、キャリアも同等で、まだ無名の活きの良い新人……ということで目に留まったのがアメリカのバンド、キッスとエアロスミスだった。



こうして「ML3大バンド」、後に「’70年代3大バンド」というイメージが生まれたわけだ。この3バンドは個性も音楽性も違うが、それぞれが魅力的でML編集部の選択眼が間違いでなかったことは充分に証明されることになる。しかし、なぜ2大バンドや4大バンドでなく、3大バンドだったのだろう? なんとなく座りが良いという漠然とした理由もあったが、私達が意識したのは実は’70年代当時、アイドルとして日本中を席捲した「新御三家」(郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎)と、「花の中3トリオ」(山口百恵、桜田淳子、森昌子)の存在だった。古くは徳川御三家から、日本人はなぜか3が好きだ。歌謡曲時代から、アイドル時代へと移行しつつあった当時の邦楽界を参考に3大バンドにこだわってクイーン、キッス、エアロスミスを選んだML編集部の目に間違いはなかった。この3バンドは、それぞれが新しいファンを獲得し、日本の洋楽界にとって新しいマーケットを切り開いていった。

ところで、そんな3大バンドのなかで私が個人的に一番気に入っていたのは、実はエアロスミスだった。アメリカ、ボストン出身の、この5人組はクイーンやキッスに比べると地味で、その音楽性も黒人音楽に根差したブルース系のハード・ロックで日本人には一番、馴染みにくい音楽性を持ったバンドだった。だが、クイーンやキッスがある意味、人工的な美しさ、あざとさを武器にしているのに比べ、彼らには剥き出しの荒々しさ、計算外の不良っぽさがあり、それが私には魅力的に見えた。



そんなエアロスミスの初来日は、クイーンの初来日から2年後の1977年の年明け1月のことだった。ちなみにキッスも、この年の3月に初来日している。’77年エアロスミスの初来日ツアーの初日は、群馬県、前橋市の「群馬県スポーツセンター」で幕を開けた。なぜ前橋市だったのか? 今でも業界で話題になるほど不思議な選択だったのだが、編集部としては月末1月29日の前橋公演を取材しなければ締め切りに間に合わないということで重いカメラ機材を担いでバンドと共に上野から急行に乗車、そして高崎で各駅に乗り換えて昼過ぎに前橋に到着した。

そう、当時、彼らは車ではなくメンバー自らが荷物を担いで、列車を利用して現地に行ったのだ。今でも良く覚えているが、乗換駅の高崎で空腹だったと見え、スティーヴン・タイラーが駅の立ち食いソバ店でソバをかき込むというオマケ付きだった。そこに前橋行の列車が到着、あわてて荷物を持ち、隣のホームまでメンバーと一緒に爆走! 豹柄のコートやら、ギターケースやらを抱えた長髪の変な外国人が懸命にホームを走るのを見る人々も少なかったように思う。今にして思うと、まだ平和でノンビリした時代だったのだ。

会場の「群馬県スポーツセンター」に到着したのは開演真近だったと思う。まさにドサ周りそのものという光景だった。さらに驚いたのは、そんなドサクサの中で幕を開けたステージが圧倒的にカッコ良かったことだ。ボストンだろうが、東京だろうが、前橋だろうが関係ない。与えられた場所で精一杯ロックするというバンドの心意気を感じたものだ。その時2階のバルコニーに立っていた私の隣で観ていたイガグリ頭に詰襟姿の少年の呆気にとられたような表情が忘れられない。あの少年も今や、立派なオヤジになっているのだろうな。



(東郷かおる子)
Pix : Koh Hasebe / ML Images / Shinko Music
写真:長谷部 宏/MLイメージズ/シンコー・ミュージック

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東郷 かおる子 Kaoruko TŌGŌ 音楽専門誌「ミュージック・ライフ」元編集長。
神奈川県横浜市出身。星加ルミ子氏に憧れ、高校卒業後、(株)新興楽譜出版社(現・シンコーミュージック・エンタテイメント)に入社。

1979年に編集長に就任。1990年に退社。現在はフリーランスの音楽ライターとして活動。近著に「クイーンと過ごした輝ける日々」(シンコー・ミュージック刊)。



東郷かおる子さんが編集長だった『ミュージック・ライフ』は『MUSIC LIFE CLUB』と姿を変え、クイーンを中心とした往年の洋楽アーティスト/グループのニュースや情報をお伝えするサイトとして、シンコー・ミュージックが完全に無料のサービスとして運営中。


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