ロックスターの横顔vol.2

クイーン

クイーンの思い出 2 / 心優しい「普通の人」ジョン・ディーコン MUSIC LIFE CLUB Presents

ロックスターの横顔vol.2 クイーン

クイーンの思い出 2 / 心優しい「普通の人」ジョン・ディーコン


一昨年末からのクイーン・ブームのおかげで私の生活も少なからず影響を受けた。仕事が増えたことに関して文句を言うつもりはない。むしろ、ありがたいことだと思った。しかし普段は観る機会もないTVのバラエティー番組への出演には気をつかった。なにしろ、クイーンというバンドを何も知らない視聴者に、その時代背景や特異な音楽性を限られた時間の中で分かり易く説明しなければならない。だが、こうしたブームは一過性のもので、今にして思えば面白い経験だったかもしれない。



どの番組でも、どの雑誌でも何度も聞かれた質問はクイーンのメンバーの印象や性格といったところだろうか。今回、このコラムでは、あまり披露したことのない(と思う)エピソードを紹介しよう。クイーンと言われて、あなたが思い出すメンバーは誰だろう。多分フレディ・マーキュリーと答える人が多いはずだ。他にもブライアン・メイのギター・ワークや、ロジャー・テイラーのイケメンぶりを思い出すかもしれない。で、もうひとり、ベーシストのジョン・ディーコンの存在も忘れてもらっては困る。

実は私が一番、仕事を離れて他愛ない世間話をしたのはジョンだった。長いコンサート・ツアーで家族と離れている寂しさまで、彼と話した覚えが多々ある。そんなジョンの素朴で気取らない人柄に、取材現場のキリキリした雰囲気が和んだものだ。そう、彼は本当に「普通の人」だった。カリスマ性に溢れたフレディ、学者肌のブライアン、いかにもロッカー然とした華やかさのあったロジャーと比べると、ジョンは地味で静かで、彼があの派手なステージに立っていることが不思議だった。

何度も来日した日本での取材に限らず、アメリカやヨーロッパまで追いかけた時も、いつも気さくに「やァ、また会ったね」と彼から話しかけてきたものだ。私は、そんなジョンの曲作りの才能にも密かに一目置いていた。ポップでメロディアスな「マイ・ベスト・フレンド」はクイーンの曲のなかでも私のお気に入りだし、ソウル・フィーリング溢れる「地獄へ道づれ」はブラック・ミュージックが好きな彼らしい曲だ。この曲の大ヒットでクイーンはアメリカ市場での地位を確立したと言ってもいいだろう。


そんな「普通の人」ジョン・ディーコンについて忘れられないエピソードがある。1979年、3年ぶり3度目の来日公演の時だった。アルバム『ジャズ』で‘80年代のクイーンがポップ路線を感じさせた頃の来日公演だった。この頃の彼らは「キラー・クイーン」「ボヘミアン・ラプソディ」のヒットで世界的なバンドにノシ上がっていた。この前年の’78年にバンドは自身の会社「クイーン・マネージメント」を立ち上げ、マネージャーとしてジム・ビーチが、パーソナル・マネージャーとしてピート・ブラウンとポール・プレンターが取材を取り仕切っていた。

ブライアン取材時。手前が東郷氏。


東京でのメンバー個々のインタビューは難しいということで私達『ミュージック・ライフ』の取材班は大阪まで出向くことになった。ホテルの一室に時間差でメンバーに来てもらい、いよいよ取材と写真撮影が始まった。とは言え結局、フレディだけは福岡まで追いかけて取材に漕ぎつけたのだが……その交渉のテンヤワンヤが災いして私達は、とんでもないミスをすることになる。ブライアン、次にロジャー……問題なく撮影やインタビューが終わり「やったァーー!」とばかりに撮影機材や何やらを片付け始めた時だ。コンコンとノックする音がする。今頃、誰だろうとドアを開けた私の前にニッコリ笑ったジョンが立っていた。その途端、思い出した。そうだ、まだジョンの取材が残っていた! 慌ててスタッフに目配せして彼を部屋に招き入れ、すぐに取材を始めた。途中で熱い紅茶をサービスして和気あいあいとインタビューはすすんでいった。紅茶のお代わりを出した時、一瞬、ジョンの表情が微妙に変わったような気がしたが、無事に取材は終了。ジョンにお礼を言って、すべての取材が終わった後、彼に紅茶のお代わりを出したスタッフが言った。「あッ、紅茶のカップに間違えてコーヒーを入れてました」

まったく、なんてことだろう! ジョンの存在を忘れていたうえに、紅茶にコーヒーを混ぜて出すなんて……。失礼このうえなかったと思うのだが、文句を言うどころかジョンは終始、笑顔を絶やさず取材に応じてくれた。多分、彼は自分が忘れられていたのは理解していなかっただろう。でもね、なんとなく聞き逃したのだが、彼は席を立つ時にこう言った。「その紅茶、コーヒーの味がしたな」ごめんね、ジョン!


日本武道館バックステージにて。


おまけ

日本武道館剣道練習場。


(東郷かおる子)
Pix : Koh Hasebe / ML Images / Shinko Music
写真:長谷部 宏/MLイメージズ/シンコー・ミュージック

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東郷 かおる子 Kaoruko TŌGŌ 音楽専門誌「ミュージック・ライフ」元編集長。
神奈川県横浜市出身。星加ルミ子氏に憧れ、高校卒業後、(株)新興楽譜出版社(現・シンコーミュージック・エンタテイメント)に入社。

1979年に編集長に就任。1990年に退社。現在はフリーランスの音楽ライターとして活動。近著に「クイーンと過ごした輝ける日々」(シンコー・ミュージック刊)。



東郷かおる子さんが編集長だった『ミュージック・ライフ』は『MUSIC LIFE CLUB』と姿を変え、クイーンを中心とした往年の洋楽アーティスト/グループのニュースや情報をお伝えするサイトとして、シンコー・ミュージックが完全に無料のサービスとして運営中。


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