ロックスターの横顔vol.5

レッド・ツェッペリン

ワイルドだが律儀でもあったレッド・ツェッペリン〜ジミー・ペイジ MUSIC LIFE CLUB Presents

ロックスターの横顔vol.5 レッド・ツェッペリン

ワイルドだが律儀でもあったレッド・ツェッペリン〜ジミー・ペイジ

2021.February


1971年9月、レッド・ツェッペリン初来日時のジミー・ペイジ

 

Pix : ©︎ Koh Hasebe / ML Images / Shinko Music


東郷かおる子氏が体調不良のため、ピンチヒッターを務めさせていただく赤尾美香です。1987年より『ミュージック・ライフ』(以下ML)編集部で東郷編集長に鍛えられ、現在はフリーの音楽ライター/編集者として仕事をしています。

 

さて、今回のお話はレッド・ツェッペリン。ツェッペリンといえば、ロック史に燦然とその名を輝かせるレジェンド・バンドであると同時に、その極めてワイルドな振る舞いでも知られた存在だ。

初来日は1971年。当コラムの第3回エアロスミス編の冒頭で、東郷氏はこう書いている。

「’70年代当初の日本の洋楽マーケットは海外~アメリカやイギリスから、まったく注目されていないへき地だったと書いた。それが激変したのは1971年にレッド・ツェッペリン、ピンク・フロイド、グランド・ファンク・レイルロードの相次ぐ来日公演以降のことだ」



『ミュージック・ライフ』

1971年11月号 レッド・ツエッペリン来日特集号


70年に発表した『レッド・ツェッペリン III』を英米チャート連続7週トップに送り込んだバンドは、まさに向かう所敵なしの状態で日本にやって来た。71年11月号の『ML』では、そんな彼らの様子を、グラビアはもとより、ライヴ・レビュー、日別行動記録、読者からのQ&Aなどで20ページ以上にわたり大特集している。

3時間にも及んだコンサートでロバート・プラントは圧倒的な存在感を放ち、ジミー・ペイジは大方の予想を上回る派手なアクションと華麗なギター・ワークを披露、ジョン・ボーナムは15分に及ぶ息をもつかせぬドラム・ソロで観客を煽り、ジョン・ポール・ジョーンズは静かに的確にバンド・サウンドを支えた。全身全霊をステージに向けている彼らゆえ、楽屋での反省会は喧嘩腰の怒鳴り合いになることも珍しくなく、日本人スタッフは怯えるばかりだったそうだ。

 

が、さらに周囲を怯えさせたのは、噂に違わぬ野獣っぷり。ある時、ホテルのエレベーターで、ロバート・プラント、レコード会社スタッフと乗り合わせた東郷氏も目撃者のひとりだ。

「私もまだ子供だったから、ほろ酔い加減のロバートを見上げながら、怖いなぁ、背がデカいなぁ、と隅の方で小さくなっていたの。上半身裸同然でわーっと乗りこんできて、自分の部屋の階に着いた瞬間廊下に飛び出して、そこにあった観葉植物の鉢植えを、何を思ったのか根っこごと引き抜いちゃった。廊下中泥まみれになるし、ホテルの人は飛んでくるし、もう大変。私は急に無関係ですって顔をして隠れちゃった」(東郷かおる子『ミーハーは素敵な合言葉』より抜粋)

ちなみにロバートは、ホテルの中庭にあった松の木もひっこ抜いている。木を見ると引っこ抜きたい衝動に駆られる体質だったのだろうか?



東郷 かおる子 (著)

『ミーハーは素敵な合言葉―ミュージック・ライフ編集長が語る、私小説的ロック半生記』

1985年・シンコーミュージック刊(絶版)


また、当時、来日のサポートをしていた加藤正文氏のこんな証言もある。メンバーや外国人スタッフが集まっている部屋に届け物をした時のことだ。

「部屋に入った瞬間目に飛びこんできたのは、ブラウン管が壊されて空洞状態のテレビと、脚が折れて傾いたベッド。食物や飲み物を壁にぶつけてできたような汚れ、床にもゴミが散らばり、とてもホテルの部屋とは思えない惨状でした。おまけに床は風呂場から溢れた水で絨毯がズブズブ状態で、廊下まで水が溢れていて(笑)、いや笑いごとじゃないんですけど、こりゃすごい、噂通りだなと感心しました」(『クロスビート2013年1月号』より抜粋)

 

 

 

他にも、信号に石をぶつけて壊したり、飲み屋のネオンサインや看板を盗んで来てホテルのロビーに並べたり……逸話をあげればキリがない。




レッド・ツエッペリンは公演の合間に広島市長を表敬訪問。上写真、メンバーと話しているのが当時の市長・山田節男氏。その後全員で平和祈念公園を訪れた。下写真、ファンにサインするペイジの遠く背後に慰霊碑が見える。



そんな彼らではあるが、広島公演の収益金全額を市に寄付した際にロバートは、「音楽は、人々に平和と楽しさを与えるものだ。その音楽をやっている俺たちが、少しでも力になれるなら、実に光栄だと思う」と話し、音楽も遊びも悪戯も何もかもが本気で破格なツェッペリンを、強く強く印象付けた。そして、この時「戦争を知らない私たちの心の中にも人類が原爆を落としたことへの恥ずかしさがある」と語ったジミーは、2015年、戦後70年の節目に再び広島を訪れたのだった。


ジミー・ペイジ公式ツイッターにおける、2015年7月30日のペイジのツイート。


http://t.co/ZvjYDezXzz


一番上、タイトル横の写真はこの時の広島公演(1971年9月27日)。クライマックスにはファンがステージに上がる騒ぎにも。


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東郷 かおる子 Kaoruko TŌGŌ 音楽専門誌「ミュージック・ライフ」元編集長。
神奈川県横浜市出身。星加ルミ子氏に憧れ、高校卒業後、(株)新興楽譜出版社(現・シンコーミュージック・エンタテイメント)に入社。

1979年に編集長に就任。1990年に退社。現在はフリーランスの音楽ライターとして活動。近著に「クイーンと過ごした輝ける日々」(シンコー・ミュージック刊)。



東郷かおる子さんが編集長だった『ミュージック・ライフ』は『MUSIC LIFE CLUB』と姿を変え、クイーンを中心とした往年の洋楽アーティスト/グループのニュースや情報をお伝えするサイトとして、シンコー・ミュージックが完全に無料のサービスとして運営中。


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